クラリネット学習者のバイブルとも言える「ローズ32のエチュード」。今回は、その記念すべき第1番の「後編(Bパート)」を解説します。前半の明るい曲調から一転、後半では転調による劇的な変化や、ロマン派特有の表現力が求められます。「ただ音を並べるだけになってしまう」「感情の込め方がわからない」といった悩みを抱えている方も多いのではないでしょうか。この記事では、プロクラリネット奏者の照沼夢輝氏のレッスン動画を元に、音楽的な表現の深め方、トリルの正しい時代考証、そして具体的な運指のテクニックまで、一歩進んだ演奏にするためのポイントを分かりやすく解説します。
レッスンのポイント:エチュードを「音楽」として奏でるために
今回の動画の核心は、エチュード(練習曲)を単なる指の運動ではなく、一つの「音楽作品」として捉えることにあります。特に重要な3つのポイントを見ていきましょう。
1. 転調による色彩の変化を感じる
Bパートに入ると、調性は実音ゲーモール(ト短調)へと変化します。冒頭の明るいベイドゥア(変ロ長調)から平行調の短調へ移行するため、曲の表情は一気に険しく、あるいは悲劇的になります。この場面転換では、単に音を変えるだけでなく、「ここから世界が変わるんだ」という意識を持って音色や表情をガラッと変えることが、聴き手を惹きつける鍵となります。
2. ロマン派のトリルは「下から」
楽譜に現れるトリルの奏法について、時代背景を考慮することが重要です。
古典派(モーツァルトなど): 基本的に上の音からトリルを開始します。ロマン派(ローズなど): 基本的に下の音(実音)から開始します。ローズのエチュードは1800年代後半、ロマン派の時代の作品です。そのため、トリルは「ミファミファ…」のように、主音からスタートするのが適切なスタイルです。
3. 「不協和音」の痛みを楽しむ
33小節目からの「ドルチェ(dolce)」セクション、特に36小節目には「アポジャトゥーラ(倚音)」と呼ばれる装飾音が出てきます。ここは和音とぶつかる「不協和音」が生じる瞬間です。照沼氏はこれを「音の感情的な痛み」と表現しています。きれいに通り過ぎるのではなく、あえてその濁りや痛みを味わい、その後の解決(協和音)でフッと緩む。この緊張と緩和のコントラストが、玄人好みの演奏を生み出します。
実践!具体的な練習ステップ
ここからは、動画内で指導されている具体的なテクニックをステップ形式で紹介します。楽譜を用意して確認してみましょう。
ステップ1: 20小節目の「左手のド」
20小節目の分散和音では、運指の選択が非常に重要です。ここの「ド(実音B)」は、必ず左手で押さえてください。通常のように右手で取ってしまうと、次の「レ♯」へスムーズに移行できません。
楽譜の該当箇所に「L(Left)」や「左」と書き込み、無意識でも左手が出るように習慣づけましょう。
ステップ2: 跳躍は「間の半音」を歌う
オクターブなどの広い跳躍がある箇所(例:ミ→上のミ)では、単に上の音へ飛びつくのではなく、その間にある全ての半音階を脳内で歌いながら移動します。「ミ(ファファ♯ソ…)ミ」と意識がつながることで、音が痩せず、エネルギーを持ったまま滑らかに跳躍できます。
ステップ3: 再現部は「エコー」のように
曲の終盤、冒頭のテーマが戻ってくる「再現部」は、ピアニッシモ(pp)で演奏します。最初と同じ強さで吹くのではなく、冒頭の旋律が遠くから聞こえてくる「エコー(こだま)」のようなイメージで、繊細に飾り付けられた旋律を歌い上げましょう。
よくある間違い・注意点
「楽譜通り=メトロノーム通り」ではない
「楽譜通りに吹く」ことを「機械的にインテンポで吹く」ことと混同してはいけません。特に半音階で動くような感情的な場面(例:「子泣き爺」のようにへばりつくような半音の動き)では、リズムが多少歪んでも、その粘り気や重力を表現することが音楽的な「正解」です。テンポをキープしつつも、フレーズの中での時間の伸縮(ルバート)を恐れずに表現してください。
再現部直前の「半終止」の扱い
再現部に戻る直前、フェルマータがついた最後の音(ソ)は、和声的にはドミナント(属音)の半終止です。ここは「終わり」ではなく「続く」場面です。ブレスを取って一度音を切りますが、音楽的な緊張感は保ったまま、次のフレーズへ入ってください。ここでリラックスしすぎると、音楽の流れが途切れてしまいます。
まとめ
ローズ32のエチュードは、単なる技術向上のための練習曲ではなく、ショパンのエチュードのように芸術性の高い作品です。転調や和声の変化を敏感に感じ取り、音色で表現する。ロマン派のスタイルに合わせ、トリルは主音から開始する。運指の工夫(左手の活用)で、物理的な無理をなくし音楽に集中する。これらのポイントを意識して、あなただけの表現豊かな演奏を目指してください。